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工藤あゆみ トークショー

工藤あゆみ トークショー

背筋が伸びたら見えたよ!

今回の対談のお相手は、イタリア在住でヨーロッパを拠点として、活躍するアーティスト工藤あゆみさん。日本で出版されている作品集「はかれないものをはかる」(青幻舎)を中心に心に響く言葉と独特のタッチで描かれた作品をP!NTO SEATING DEZIGNにて展示。店内はあゆみさんの作品とP!NTOの椅子が心地よく響き合った。それぞれの作品が生まれた背景にはどんなストーリーがあるのか知りたくて、展示中にトークショーを開催し、話を伺った。

 

「はかれないものをはかる」

野村:あゆみさんの本のタイトルを見てあっこれだと思ったんです。
私は椅子を作るとき、その人の型取りをするために、体をはかっています。痛くない骨盤の位置や肩こりの位置など解剖学的にはかっているのですが、それは数字で表せるものではないため、うまく人に伝えられないんです。一人ひとり性格もちがうし、育って来た環境も違うし、暮らしの体系も違います。その中で体をみて、何を感じ取ってはかればよいのかということは言葉では表現できないと思っていたんです。ですから、「はかれないものをはかる」というタイトルは私の心に響きました。
お会いした時に、本にサインとともにもらった言葉が「背筋が伸びたら見えたよ」という言葉です。姿勢を正したら今まで見えなかったものが見えたという意味だけではなく、pintoのクッションに座って、姿勢やお尻が楽になって、ほっと優しい気持ちになったら、心にゆとりができて見えてくるものがあるんじゃないかと思ったんです。
このことを気づかせてくれたあゆみさんと一緒に何かやりたいという思いがあって本日、その願いが叶いました。私がはかっているものって一体なんだと思いますか?

工藤:私も寿子さんに型取りをしてもらったのですが、型取りする機械に座ると体に触れている部分がどんどん固まっていきます。寿子さんの手が私を整えてくださって、私の形ができていくんです。自分があって現実のものがあるのですが、自分と現実の間を満たしてくれる。その折り合いをつけてくださるような感じで、とてもリラックスすることができました。型取りの後で描いた作品が「安心して。心をいきなりなでたりしない。」です。
Pintoのクッションは押さないし引かない。ちゃんと段階を踏んで体に寄り添います。乱暴に入ってくることはなく、丁寧に入ってくる感じがしました。私はいつもpintoクッションを使っているのですが、その感覚はとても普通、寄り添うだけで、ただいてくれるだけ。椅子と私の間を埋めてくれているだけなのですが、それがとても心地よいのです。今では娘に取られてしまって、私が座ると怒るんです(笑)
寿子さんがはかっているものは、心地よいという感覚のような気がします。

 

「つくるということ」

工藤:寿子さんの話を聞いていると、使う人がどんな気持ちになるかを常に考えて作ってくれているように思います。私は見てくれている人のことを考えるのではなく、自分本意の作品を創っています。私は基本的にアーティストなので、皆さんが求めているものを創っているわけではなく、自分がほしい、見たい世界、手に触ってみたいという自分の心のための作品を創っています。そこが寿子さんとは大きく違います。けれども、作品の向こうに人のリラックスする姿があるというのが私の制作の励みになっています。

野村:私は、私が作るシートに座ってくださるお客様が一番大切な人なのです。お客様がどうしたら呼吸が楽になるのか、元気になるのかということを常に考えています。今まではたくさんの人のためにデザインすることが産業の主流でした。しかし、私はひとりのためのデザインを作っているのです。ひとりのために考えること、それがみんなのためになっているんです。今、マーケティングやデータに頼らない、たったひとりのためのデザイン作りが注目されています。私は今まで6千件の型取りを積み重ね、あの体験がここに活かされると感じながら、環境と大地の間を作っています。障害で動けない人もいれば、動きが賑やかな人もいます。私の役目はさりげなく黒子として寄り添うことだと思います。多様な彼らのおかげでたくさんのバリエーションが増えてきて、その体験からあらゆる人の間を作ることができるようになりました。

 

「人の体を触る・自分の心を触る」

野村:あゆみさんの作品をみていて、「あっ、こういうことある」って気づかせてもらうことがあります。たくさんの日常のバリエーションの中で、無意識に見ないで過ごしている闇や責任をあゆみさんの作品で見せられて初めて気づくんです。もし、それが全部見えていたらとてもしんどいと思うのですが。
あゆみさんはどうやって産み出すのか、どこから湧き出てくるか教えてください。

工藤:寿子さんは皆さんの体を触って、体とシートの間を把握して、数値ではでない具合をみているのではないでしょうか。そういう形で自分のことをみると、私は自分の心を触って把握して、そこにあるトゲトゲしたものや柔らかいものを触って具合をみて描いているのかなぁと思いました。寿子さんはだれかの体を触って感じていますが、私は私自身の心を触って確認しているのです。心は常にうごめいています。そのうごめきを与えてくださっているのは一番はこれまで出会った人たちです。いろんな出来事があり、影響があります。心の手触りから形にするというのは苦しいわけではなく、気持ちがいいわけでもないんだけれど、手触りを絵と言葉に落とすことがみつけられちゃうのはどうしてだかわかりませんが、何かが介在しているのだと思います。産み出すとか湧き出るというより突き出ちゃうという感じです。

 

「不思議な力」

工藤:自分の心の中にあるものを出してみるということは、絵や言葉だけとは限りません。自分の心を触ってみて、それを伝える手段として写真でもいいし、デザインでもいいと思っています。日々いろんなことが起こって、モヤモヤした気持ちがあるけれど、時間をおいて見たり、いろんな角度から眺めたりしながら、自分の心がちょっと軽くなるのはどこかなぁと探して自分の感覚に当てはまることが私の喜びです。スッキリするわけじゃないのですが。日常的にたくさんのことを感じているんだけど、日々書き留めたりすることはありません。描こうと思った時に芽吹いたものだけに水と太陽を与えて描く。最後に咲くかどうかは自分の力だけでなく、不思議な力がどこからかやってきて、いつも助けてくれているような気がします。

野村:そうですね。私もそういうことがあります。苦しんで苦しんで苦しまないと神様は降りてこない。ギリギリまで、ぜったいあきらめないと思っていたら、ふっと神様の救いの手が差し伸べられるといったことは時々感じます。

工藤:不思議な力の源なんですけれど、私にとってはイタリアからもらった目に見えないエネルギーがとても大きいです。イタリア人と接しているとどこがいいかとか、どこが素敵かということをその人の言葉で感情豊かに語ってくれます。人と会うのも作品を発表するのも楽しみです。今も、ですが最初の頃はとくに高い高い言葉の壁がありました。その壁のおかげで言葉のあやとかちょっとした言い方に足をとられることがなかった。わからないぶん、表情や本質を見て感じとろうとしました。原始的なコミュニケーションの喜びを味わえたことがとても良かった。その人の言っていることの中心を探してみたり、根っこを探ってみたりしました。日本だと、言葉がわかるので枝葉に気をとられることもあるけれど、言葉がわからないと枝葉まで見えません。だから、常に本質や中心を探そうとしています。今でもそれが私の生活の中心になっています。それを制作のときにも気をつけて活かしています。

野村:私も言葉が伝えられない人と向き合うことがあります。障害があり、言いたいことはいっぱいあるけれど、伝えられない人たちとの対話は楽しいこともあります。
その人たちと向き合うときは、ずどんと真ん中のところを見ることしかできません。そうできるのは、数をこなしてきたトレーニングのおかげかもしれないけれど、真ん中だけをちゃんとみるということが私の仕事だったと思います。イタリアに行って言葉がわからなくても真ん中のところを見ることができれば問題ありません。かたことの英語が使えれば充分です。言葉のやり取りが出来ない人とは、感情を動かしてやり取りすれば、大丈夫なのです。真ん中さえ見えれば、相手と通じることができます。

 

「憧れと現実の差をはかれない」

野村:この絵本は最後にひとつだけ、「はかれない」ことをあげて終わっていますがこれはどうしてですか?

工藤:最後のページにある絵は私の高校時代の制服です。現実の高校の制服をきたかったけれど、学校に行けなかったのです。摂食障害になってしまい、ストレスから自分の意図していることが何もできていない、人の目が怖くて何も言えなくなってしまったんです。
それが十年くらい続いたのです。私の様子をみて悲しそうにしている両親の姿を見るのが辛くて嫌でした。どこでもよかったけれど、どこかに行きたいと思ったのです。そんなときにカプチーノを飲んだら美味しくて、食べ物、飲み物を受け付けない状態だったにもかかわらず、自分の体にその一杯を収められたのがきっかけでイタリアに行こうと思ったんです。イタリアにいっても病気がすぐに治るわけではなく、病気と付合いながら過ごしていました。ビザをとるために、美大に入学して描き始め、作品を発表しはじめたのです。
作品をつくることで症状がよくなったわけではないけれど、作品についてみなさんがいろんなことを言ってくださることが励みになりました。
それから、ピントの椅子のように、ただ見守ってくれる主人がいてくれたのです。「頑張って」などと言われることもなかったんです。心配そうな顔もせず、ただ、私をそのまま受け入れてくれました。悲しい顔もしなかったです。そのままの私を受け止めてくれました。両親や友達は心配してくれたのですが、主人は心配することもなく、どんな状態でも私を受け入れてくれているうちに、だんだんよくなっていったんです。
今思えばあのときのことは一体なんだったんだろうと思うけれど、今は考えないでおこうとしています。それでいいんじゃないかと思っています。
はかれないものがあってもいい。周辺にある思いやりや優しさは忘れないようにしよう、心に残しておこうと思っています。それが絵本の最後のはかれない一枚です。

あの絵のハンガーにかかってる服は高校の制服です。とても憧れて入学した高校だったけれど途中から不登校になりました。学校でも家でも自分の心にあることを言えないできない、みんなの顔色をうかがって過ごす自分に幻滅し続け、なにもかにも拒否したい気持ちを”食べる寝る”を拒むという自己完結解決にすり替えた結果摂食障害になり、苦しい日々は10年以上続きました。本当に厳しい日々で、心と時間と居場所を私に提供してくれる何人かのオトナたちに命をつないでもらいながら過ごしていました。現実逃避的にここではないどこかへと思うようになり、そんなとき当時はまだあまり知られていなかった”カプチーノ”に出会いました。食べ物飲み物を受け付けない状態だったにもかかわらず、自分の体にその一杯をおさめることができたことをきっかけにイタリアという選択肢を選びました。イタリア語の響きも好きだったし。
イタリアに渡って、ビザを取るために美大に入学して美術の世界に触れ、卒業後に作品を発表し始めました。日本から逃げたことや、作品をつくることで症状がよくなるとかはなかったけれど、作品に対してみなさんがいろんな意見をくれることに励まされて徐々に心が安定していきました。イタリアでその後の人生をともに歩くことになる工藤文隆に出会えたことは幸運でした。彼は心配そうな顔も悲しい顔もみせず、「頑張って」とも言わず、ただそのままの私を受け止めてくれた。どんな状態の私でも動揺することなく接してくれたことが回復につながったように思います。ピントさんのクッションはそうやって私を押し出すことなく見守ってくれた、ただただ寄り添ってくれたひとたちと重なります。

憧れと現実の差をはかれない。あんなこともう絶対おきちゃいけないことで、でもまだ検証できない自分がいます。今はそれでいいんじゃないかと思っています。
はかれないものがあってもいい。でもその周辺にある思いやりや優しさは忘れない、心に残しておこうと思っています。それが本の最後のはかれない一枚です。

野村:はかれなくても幸せになれるよね。